2024/06/26
長崎
観光スポット 旅行プラン
文永の役から750年にあたる今年、当会職員がトラベルニュース社の
『壱岐・松浦特集号』蒙古襲来750年歴史とロマンを感じる旅の取材に同行しました!
取材で訪れた元寇ゆかりの観光スポットを担当者目線でレビューします!
取材日:2024-04
① 自徳庵の隠れ穴
自徳庵の隠れ穴は弘安の役の際、老若男女問わず危害を加えてくる残忍な元軍の兵から逃れるため、島の人々が息を殺して山中の洞窟に身を潜めるために使われた穴です。
山中にあるただの穴の様ですが、敵兵から身を隠すために使う当時の様子を想像するとその緊張感が伝わってきます。
島内には、この場所以外にも隠れ穴がいくつかありますが、自徳庵の隠れ穴が一番大きいようです。
【POINT】■島の人々が実を潜めるために使った場所です。山道を少々歩きます
②浦海海岸元寇上陸地
文永の役の時に最初に上陸された場所とされています。
浦海海岸は海も穏やかたで平地だったこと、食材も豊富にあり、元軍も滞在しやすい場所だったのではと話されていました。元軍の兵によって牛が720頭も食べられたという記録も残っており、どれだけの敵兵が上陸してきたのか、、、未知の敵が次々に襲来してくる様子が浮かびます。
【POINT】■浦海海岸からは壱岐の島の綺麗な海と、数々の小島を眺めることができます。
③新城神社(樋詰城跡)
文永の役で戦死した壱岐の守護代『平景隆』の本陣であった樋詰城跡内にあります。
元軍から総攻撃を受けた際、景隆は娘の姫御前を呼び、家来の宗三郎をつけて大宰府へ元軍の壱岐襲来を伝えるように命じると、自身は元軍と懸命に戦いましたが、樋詰城内で一族郎党とともに自害して果てたと伝えられています。
そんな平景隆をはじめ、元寇で殉難した将兵諸神が祀られています。
④文永の役 新城古戦場跡
壱文永の役ではこのあたりが最後の激戦地であったとみられ、その一画に千人塚があります。千人塚の中央に元寇殉国忠魂塔が建ち、左脇には観音像、右脇に本来の千人塚の標石である自然石が2基あります。
先程の浦海海岸から上陸した元軍との攻防戦から、山を背にする新城古戦場まで追い詰められた日本。最後の激戦地に立ち、一度周囲を見渡してみてください。
【POINT】■滞在時間 駐車場
⑤姫御前塚
蒙古襲来の報を太宰府に伝えるため、家来の宗三郎と樋詰城を出た平景隆の娘『姫御前』。その道中で元軍が射た毒矢に傷付き、動けず無念の思いで自害して果てたとされています。
その姫御前の亡骸を葬ったとされる塚。
【POINT】■元軍の攻撃に勇敢に戦った父・平景隆が眠る『新城神社』
元軍の総攻撃により追い詰められた樋詰城から、父に託された報を持ち命辛々脱出するも無念の死を遂げた娘・姫御前が眠る『姫御前塚』
未知の敵と戦いながら島を守り抜こうとした父娘に当時の島の人々の懸命な攻防が目に浮かびます。
⑥千本供養塚
弘安の役で殺された人々を弔う供養塚。地蔵には天使のような模様があり、隠れキリシタンの方が建てられたのではと話されていました。壱岐には他にも隠れキリシタンと思われるものが数多く残されています
⑦少弐資時の像(芦辺港フェリーターミナル前)
弘安の役で壱岐国の守護代として上陸した元軍を迎え撃ったのが、当時の19歳の少弐資時でした。激戦の末、船匿城で息絶えたと伝えられており、弘安の役のヒーローとして平成13年に銅像が建立されました。
「騎乗の若武者・少弐資時公」銅像(高さ約6m、台座含む)
■【POINT】バス駐車場あり
⑧ 壱岐神社
弘安の役で戦死した少弐資時を祀った神社。壱岐の神社の中では一番新しいです。本殿の中にはカーペンターズのレコードジャケットも担当した『長岡秀星』さんの「敵味方鎮魂・慰霊祭・地球平和祈願」ポスターを見ることができます。
【POINT】■バス駐車場あり
⑨元寇の碇石
元寇の碇石は左京鼻沖で発見されました。
日本軍の船の碇石ではないかともいわれています。壱岐は盗難が多いため、鎖がつけられています。
⑩少弐資時の墓
少弐資時をまつる壱岐神社の本殿裏の高台にあります。
近くには博多まで見渡せる展望台があります。
【POINT】■⑨⑩はいずれも少弐資時公園の中にあります。壱岐神社への参拝と併せてご覧ください。
⑪龍蛇神社
鳥居の後には不思議な形で積まれた岩が在り、海を見下ろす絶景に立つ神社です。
パワースポットとしても注目されています。名前に『龍』『蛇』と入っていて辰年の2024年・巳年の2025年は是非とも訪れたいスポットです!!
【POINT】■壱岐神社より歩いて行ける場所ですが岩や石があるので歩きやすい格好、靴をおすすめします。悪天候時や満潮時は歩けないようです。
⑫瀬戸浦千人塚
弘安の役の際、元寇によって無残に惨殺された将兵、島民たちを埋葬した千人塚
千人塚は元軍も日本軍も関係なく埋葬されており、現在も弔われています。数年前にモンゴルのTV局が壱岐に取材にきた際にまさか敵国で自分たちの祖先が弔われているとは知らずに涙ぐまれていたそうです。
【POINT】■千人塚は敵味方関係なく埋葬されており、750年たった現在も地元菩堤寺による法要が営まれています。
悲しい歴史の中に、鎮魂といった壱岐の島民性が表れる場所です。
ちょっとブレイク、、
⑬味処 うめしま
牧場直営レストランで幻の銘牛壱岐牛をお出ししており、普段脂身がある牛肉は胃もたれする私ですが、とっても美味しくペロリと食べれました!
⑭遣新羅使・雪連宅満の墓
雪連宅満は736年、新羅への使節団「遣新羅使」の一員です。周りには綺麗なお花が沢山植えられていました。
【POINT】■ビューホテルという名前通りのお部屋からの眺めが最高で、旅行気分を高めてくれます。晴れている日の夕日のサンセットは職員さんも惚れる絶景だそうです。地元の食材を使ったお料理は新鮮で食事は、食べきれないほどの海の幸がとても美味しく、館内も清潔で、居心地が良い施設です。
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